心に沁み入る音色

 人の感性は摩訶不思議。例えば音楽。聴いた刹那「あっ! この音、好き」。そう感じたこと、ありませんか? みなさん。
 私は、いままでに三回あります。
 さだまさしさんの「ヴァイオリン」の音。
 やはり川畠成道さんの「ヴァイオリン」の音。
 そして 㰦ルービンシュタイン氏の「ピアノ」の音。この好きという音色を、言葉に出来なくて悔しい。…どの曲がというより、ただ純粋に音なのです。
 また新たな一つが加わりました。
 それは今秋のMIN‐ON公演「モンゴル国立民族歌舞団」でのこと。
 一瞬、音とともに大空へ舞い上がりそうな、透明感のある、たかく済んだ音! それは草原にピッタリな笛の響き。でも、なぜか懐かしい…、なぁに? この浮遊感。もしや、小さいときに消えた蒙古斑の、うずき?!
uuu さて、モンゴル楽器。「リンベ」と呼ばれる笛。笛自体は特別なものではありません。
しかし、その演奏方法はとても不思議なのです。いわゆる「息継ぎ」(ブレス)をしないかのように延々と吹き続けます。口から息を出すと同時に鼻から息をするという常識では考えられない演奏方法なのだそうです。 
 ああ、そうか普通の吹き方ではなかったのね。公演中、何度「良い音」と呟いたか。納得です。

 
スポンサーサイト

油彩ソフトのなやましさ

 ある日。懇意な方(Mさん)から、こんなメールがありました。「油絵のようなタッチの絵が描けるソフトが見つかりました。ArtRageというソフトで、機能制限の無料版もあります。
ウィンドウズ・ヴィスタも対応と書いてあるのですが…。ダウンロードできそうですか?」と。
有り難いことです。嬉しかった。 
 私は幾つかの、お絵描きソフト(市販も無料版も)を使っていますが、ペイントで描いたものを後で水彩加工するソフトもあります。
けれど、最初っから、筆の感覚で描けるものは知りませんでした。
そう、私は油絵が描いてみたかった! 下手でもともと、なにはともあれ私のパソコンへ。
 ああ念願の…! むむ、むつかしい…。まさしく、油絵のようなタッチだったのです。
パソコンのマウスポインタが、筆先みたいな楕円形になり一筆ごとに、角度がクルクル回ります。
そして、色が混ざり合う…。Mさんに、明暗を出すようアドヴァイス。絵の基本が無い私です。
 いまのとこる。花(みたいな)ものが描けるようなりました。一筆づつ、「戻る」ボタンで消しては描く…花だけ一輪が二時間。遣り甲斐がある。
 やりたかった事が出来るなんて最高! 
 何でも誰にとっても、創作には意欲には、苦楽一体ごくろうさん、なのです。



[広告] VPS

介護者の負担…軽減ほ!

 人間の記憶。はじめての思い出は幾つ頃からあるのでしょう。うちの上の姪は高山生まれ。その後は岐阜に住んでいます。
 その姪が一歳三カ月ころ…。
母が「くも膜下出血」になりました。忘れもしない、七月十四日(金曜日)です。妹夫婦は急遽、鹿児島から高山へ馳せてくれました。幸い母は手術し、短期間の入院で済んだのです。
 さて姪は、どう感じていたの? それは匂いや感触、光り・風など、わずかなものかもしれませんね。こどもの記憶と、おとなの記憶。違いがあるのかどうか?
 その頃の私の記憶は、とくに二つの光りです。
ひとつは、母が入院し暗くなり沈みがちな家庭を、姪が居てくれた明るさは、日差しの大きな光点でした。
ふたつは、テレビの光(わりと明るい)。向かいの居間で姪を寝かしつける際、私の部屋の照明を消し、音も絞って待つのです。添い寝している疲れた妹が気づくのを。その間、伯母が話し相手に居てもらえただけで心強かった。
なんでヘルパーさんに来てもらわなかったか? そこまで頭が回らなかったのです。
 …記憶についてですが、これって言葉で表現し得るかが、一つのポイントになるのでは。
皆さん、どう思われますか?


福祉タクシー(リフト車)…故障!

 高山市のタクシー会社では、車イス用リフト車が運転されています。運転手さんは、介護資格をもってみえ、車イスの押し方も上手です。
 車の運転をしなくなった父の代わりに、公演やコンサート(宝塚、劇団四季、さだまさしetc.)の往復には、いつも利用しています。なくてはならなくなりました。
 そんな、ある夜のコンサート。
 終演後、予約のリフト車が見えません。どうしたことかと、気をもんでいますと…、唖然というか驚愕というか。だいじなリフトが故障して、文化会館の前で停車し修理しているところを、母が見つけました! とりあえず、ヘルパーさんに電話連絡。私は夜にもヘルパーさんに来てっているので。それに会館の人にもトラブル説明。おおわらわの母。
 どんどん、観客は帰っていきます。照明もおとされます。その夜は、母の友人も一緒に乗って来たので、わるいなぁと思いつつ…。リフトが故障では、いかんせん、どうにもなりません。
 しばらく待っていると、ラッキー! リフトは
動いてくれました。ああ帰宅できるよー。
 機械というのは、いつなんどき故障するか、わからない(パソコンもそうですが)。これはもう、苦笑かるほかない、一夜の出来ごと。
 十時過ぎ、事に帰れてよかったぁ。


屋台のなかは、ね。

 春、高山の屋台蔵の重い扉が開くとき。
 それは、「旦那衆(だんなし)」の役。
 祭りは女人禁制。今でこそ女の子が、お囃子に加わったり、闘鶏楽(カンカコカン)をしています。けれど、妹が育った昭和四十~五十年代は、そうではなかった。
 春の屋台組の町内、「大黒台」がある上河原町も…
「初めての屋台のなかでは意地悪されて、腰掛けて外見る場所に上がらせてくれん上級生が居た。だから、はしご式階段に登ったまま外眺めた。五年生の時に腰掛けて見えたけど、上川原町から陣屋に向かう時、今みたいに三階建てがない時代、家並みも古いので屋台から屋根を見下ろしたと思った。屋台の屋根上にある神棚にいろいろ飾ってあった気もします。眺めはよかったです。風情があったような…子供時代だから何でも大きく感じるはず、屋台の中は子供でも広いイメージないし、暗かったから…。」と妹の回想。
 私は、屋台を外からしか見られなかったのですが、夜、寝床のなかで、蔵に帰る屋台の車輪がゴロゴロ鳴る音や、曳き手たちが歌う声「あーれもよぉいヨイヨイヨイ、こ―れもよぉい…」を耳の奥に残しています。
 高山の文化のシンボル「屋台」。それを身近にできる町内に住め、いい子供時代を過ごせました。